篠原 信一 (しのはら しんいち)
バラエティ番組や柔道の解説など、多くのテレビ番組で活躍する篠原氏。篠原氏の柔道との出会い、そして、日本を代表するアスリートにまで至ったその軌跡、そして、国内外の屈強な選手との戦いの中で磨かれたプロフェッショナル論を篠原流で明るくお話しいただきます。
ジャンル
政治・経済 | オリンピック・パラリンピック |
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主な講演テーマ
規格外
強者の条件
戦う相手は敵ではない
その他、ご要望のテーマに合わせてお話させていただきます。
講演料
応相談
プロフィール
中学1年より柔道を始め、育英高等学校を経て天理大学に進学。大学生の時に才能が開花し、外国人に負けない体格と技術、パワーによって多くの大会を制覇した。
シドニーオリンピック100キロ超級にて銀メダルを獲得。
決勝で、フランスのダビド・ドゥイエと対戦した際に、ドゥイエが内股を仕掛けてきたのに対して内股すかしで返したが、主審と副審の一人はドゥイエの技を有効とした。もう一方の副審は篠原の技を一本と宣告した。山下泰裕選手団監督は、審判委員から審判団の再協議を申し出られたにもかかわらず、フランス語の分からない山下はそれに気づかず試合の継続を許してしまった。結局、試合時間が過ぎてドゥイエの優勢勝ちとなった。
試合後、山下泰裕選手団監督及び日本選手一同が猛抗議したが、判定は覆らなかった。日本国内でも、誤審に対して抗議が殺到したが、それでも篠原は「審判もドゥイエも悪くない。全て自分が弱いから負けたんです。」とそれ以上言明せず、潔く引き下がった。2003年に現役を引退。
引退後、柔道部監督の傍ら、国際大会での解説を務め、その明るい人柄からバラエティー番組へのゲスト出演も数多くこなす。
2010年世界選手権ではその新鋭たちの活躍により日本男子の獲得メダル数は過去最大となった。だが、2012年ロンドンオリンピックでは日本男子史上初の金メダル0個という結果に終わり、篠原は「これは私の責任。特に選手に対して最も申し訳なく思う。」とコメントし、辞任することになった。
言い訳をする事を良しとせず、不器用な男気あふれるその姿は正に古き良き日本男児である。